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ケレン味あふれるブログを目指します。

宮崎駿最新作「君たちはどう生きるか」は、戦時下を生きる子どもたちへの「明るい」メッセージになる気がする。

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宮崎駿監督の最新作のタイトルが

「君たちはどう生きるか」に決定したとのこと。

有名な同名小説からとっているが、これをそのままアニメ化するわけではなく、物語の中で、この小説が重要な意味を持つ、ということらしい。

 

あまりにも有名な小説なので、読んだことのある人も多いと思う。

つい最近も漫画化され、話題になった。 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

 

この物語は、若い叔父と甥(コペル君)とのやり取りを中心として展開され、その中でまさに「君たちはどう生きるべきか」というタイトル通りのメッセージが挿入される構成である。

 

そのうちのいくつかを抜粋すると、

・自分の体験から出発して、正直に考えること。決して誤魔化さないこと。

・大きな繋がりの中に存在するという自己を認識すること。

・だからこそ、消費するだけでなく、生産するものであれ、ということ。

 

なるほど、これらは宮崎監督が常々口にしている、高潔であるため、善く生きるための人間哲学と符号している。では、これらのメッセージをなんらかの形でアニメーションとして昇華していくのだろうか?

 

そうじゃない気がする。

 

このメッセージを伝えるだけならば、小説で充分完結している。加えて(読んだ人ならわかると思うが)、「叔父からの手紙」という見せ方、これは明らかに小説というメディアが適している。アニメーションにする意味があまり見いだせない。

 

ではなぜ、2017年のいま(完成は3~4年後とのこと)、この小説を、重要なファクターとする映画を作るに至ったのか。ここからはあくまで予想である。

 

この本が出版された1937年という時代。

 

この「君たちはどう生きるか」が出版された1937年(昭和12年)がどんな年だったかというと、言うまでもなく日本が太平洋戦争に突入した年である。

 

ここからは、この小説に関して宮崎駿が語った言葉から引用する。2004年頃の発言である。

 

この本が書かれるまでの昭和の12年間という近代史を見ると、思想的な弾圧や学問上の弾圧があって、とにかく民族主義を煽り立てて、国のために死のうという少年たちを作り上げていく過程が、あまりにも僅かな期間にやられていることがわかる。本当に異常なまでの速さで昭和の軍閥政治は、破滅に向かって突き進んでいく。今も世界はそんなふうにたちまちのうちに変わっていく可能性があるんだということです。

 

2004年のこの時点ではまだ「可能性」に過ぎなかった。

しかし、それから10年後、

風立ちぬ2014年)の制作の模様を追ったドキュメンタリー「夢と狂気の王国」で、鈴木プロデューサーとのこんなやりとりがあった。

 

鈴木「あれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメ。もう民放も含めて全部そうなってます」

宮崎「一気に右傾化しようというわけですね・・・。ついに始まったんですね。」

 

 

宮崎監督の中で、1937年と、2017年の現在が忸怩たる思いとともにオーバーラップしているのは、ほぼ間違いないと思う。

 

では、この流れを食い止めるための、反戦思想的な映画になるのだろうか。

左翼主義的なメッセージを内包したものになるのだろうか。 

おそらくそれも違う。

多分、宮崎駿監督は、この流れを止められると思っていない。

もうそんな段階ではない。「始まって」しまっているのだ。

だからこそ、この映画のテーマは、

 

戦時下を生きる子どもたちへ

になる気がするのである。

 

君たちは、おそらく戦争から免れない。だったら、そんな中でどう生きるか。

 

またも、2004年の発言を引用する。

子どもの頃に、うちの親父に当時(戦争に突入する頃)の話を聞くと、本当に能天気に「いやあ、面白かったよ」とか「1円あれば~」とか、そういう話しかしなかった。一方で、僕が公的に受け取る日本の歴史の中には、思想弾圧や大不況の中満州事変へ向かう嵐のような狂気がたちこめていて、若い男女であった父と母がそんなふうに能天気に生きてこられたような隙間なんてまったくといっていいほど感じられなかった。そのギャップが大きな疑問として、ずっと僕の中について回っていたんです。(中略)親父にしてもお袋にしても、別に何者でもない市井の一人の人間だけれど、でもうそういう人間が背負っていた昭和史とか大正史というものには、公的な歴史とは別の風景があったんだろうなと今では素直に思うんです。

  

戦争を経験していない我々にとって、戦時下のイメージはとにかく陰鬱で、悲惨なものとして伝えられているし、実際にその側面が強かったのは確かである。

しかし、人間はそんな狂気と悲劇のさ中にあっても、誠実に、そして明るく生きていくことができる、というのを、両親の話から抱く矛盾の中で、確信として宮崎監督は持っているのではないかと思う。

 

だとしたら、そのことを子どもたちに伝えねばならない。

そう思ったのではないか。

この本の中でも重要な一節である、

・自分が何を感じたか。その気持ちから出発すること。それを誤魔化さないこと。

 

社会が、国が自分にどんな生き方を強いてこようと、

常に自分の気持ちを想うこと。そしてそこから自分の行動を考え、決めること。

子ども達は、そんな「魂の強靭さ」を持ち合わせているはずだ。

※大人にそれは難しい。その一面を描いたのが風立ちぬであった。

 

そういう風に考えて、この企画が2017年の今、立ち上がったような気がするのである。

 

底抜けに「明るい」映画になるような気もする。

このニュースが出回った時の反応として、少なからずあったのが

「説教くさそう」というもの(笑)。

 

耳をすませば企画書の記事でも言及したが、思想的な意図や背景をそのままのせるようなことはしないと思う。

 

悲惨な状況の中で立ち上がる「けなげな少年(あるいは少女)」というタッチではなく、むしろ、お父さんのような、ある意味能天気な感じの、明るく颯爽とこの世界と対峙する、そんな描かれ方をするような気がする。そこにアニメーション技術を用いる理由があるのではないか。

 

 

長々と書いたが、あくまで予想であり、

言いたいのは、とにかく、楽しみだということである。

4年待つのは長いなあー。