甘口カレー事件というのがある。
(概要)
松本人志の知人が「自分は甘口のカレーが好きだ」と言った。松本はそれは絶対に受け入れられないとする。カレーという料理自体の成立要件に「辛さ」が含まれており、その為「甘口のカレー」などというものは存在し得ないというのである。
そんなに辛くないカレー、ならいい。
「甘い」までいってしまうとは何事か、という話だ。
この時点でもう面白いのだが、
これがどのくらい愚かな言い分であるかを説明するために、氏は二つの比喩を持ち出す。
①クーラーでいうなら・・・
これがどのくらい無茶苦茶な話かって言うとですよ?部屋にパッと飛び込んだ時にね、「あ~、ちょっとクーラー効き過ぎ、クーラー止めて!」って言うならわかりますよ?そうじゃなくて「クーラー効き過ぎ、暖房に切り替えて!」って言ってるようなもんですよ!
②車でいうなら・・・
車に乗ってて、「スピード出し過ぎてるよ、スピード弱めて!」って言うならわかりますよ、「スピード出し過ぎてるよ、バックで行って!」って言ってるんですよ!
爆笑すると同時にちょっと戦慄したのを覚えている。
なぜこんな秀逸な例えを思いつくのか。
この疑問をずっと持っていたが、最近なんとなくわかってきた。結果として表に出てきている上記二つの比喩を追いかけても無駄だ。
問題は、甘口のカレーから、氏は何を概念として取り出したのか。それが最も注目すべき点である。これこそが、常人はもちろん、他の芸人すらも真似ができない彼独自の思考回路なのだ。
結論からいうと、
抽象的思考と呼ばれるものだ。
抽象的(※)という言葉には、どうしても「曖昧な」「ぼんやりした」というイメージが付きまとうが、それはちょっと違う。
↓↓抽象化とは何か↓↓
※抽象化とは・・・思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する方法である。
つまりこういうことだ。
- 甘口カレーが好き、という知人の言葉から、松本は「程度の差ではなく、正反対の方向を志向する」という要素を重点的に抜き出し、後は一切無視する。
- その上で、その矛盾と愚かしさが最も映えるパターンとして、クーラーと車のスピードという、一般的でわかりやすい二つに絞って出す。
1ができない。圧倒的に出来ない。
もちろん2もできないが、1を経ないことには2に展開されない。
普通なら「甘口のカレーなんてないよ、それって辛口のケーキって言ってるのと同じだよ。」とするぐらいが関の山だろう。
抽象度の引き具合が全然違うのだ。
引けば引くほど、他のどんなものにも転用が可能になる。つまり遠くまで飛べる。
この抽象的思考による概念の抽出と、そこからの自由自在な飛翔こそが、松本人志を天才たらしめている1つの側面なんだろうと思う。
氏ほどは望むべくもないとしても、
ユニークな視点を持ちたいと願うなら、この抽象的思考を駆使することが重要だ。
「視座」は知識と教養によって決まるが、「視点」は思考の訓練である。そういう風に日々暮らしていくしかない。