テック・IT関連の人たちと、そこにまつわる言説が苦手である。
テクノロジーの進化が僕らの生活を根底から変え、彼らが言うところの「来るべき未来」とやらがやってくる。その漂白されたような笑顔は、21世紀少年の「ともだち」の信者とカブる。
なんかこんな感じの笑顔
少なくとも、こいつらはロックではない。
学生時代、バイト先の喫茶店でよく見た顔だ。
ブロガー、アフィリエイターやミニマリストと呼ばれる人種たちも同じに見える。
会社員をことさらに「企業に吸い尽くされる不幸な犠牲者」と断定し、フリーランスこそが人生のユートピアであるようなフェイクを流布している。
お前が使っているパソコンは一体誰が作ったんだ、と。フリーランスが作ったのか。
と、ここまではあえて吐いた毒である。(本心ではあるが)
当然ながら、そんな人ばっかりではない。
出会ったのである。立派な人に。
元WIRED日本版の編集長、若林恵さんだ。
WIREDとは? ※公式HPより
『WIRED』は1993年、米国でプリントマガジンとして登場しました。以来、テクノロジーという窓から社会や文化を切り取り、その「ありうべき未来像」を世に問うてきました。
若林恵 プロフィール
1971年生まれ。編集者・ライター。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社に入社、月刊『太陽』を担当。2000年にフリー編集者として独立し、以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長に就任。2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立
読んだのはこの本だ
この本は、2010年から2017年の間に、氏がWIRED日本版に書いたエッセイ(主に特集に対する言及)を中心にとりまとめられたもので、500Pを超えるいわゆる「太本(ふとほん)」である(こんな言葉はない)。
見た目だけでなく、内容も太い。
ガンガン読み進めようと思ったが、ひとつひとつの記事に触発され、なかなか進まないのだ。自分の中で勝手に定めている、良書の特徴だ。
若林氏は、テクノロジーは苦手である、と述べている(マジか)。
これはおそらく、テクノロジーが切り拓く未来について、安易に称揚しない意志の表明だと理解した。だから信頼できるのか、とひとり得心した。
ひとつひとつがビンビンくる
とてもじゃないが、全ては紹介しきれない。が、一周目で印象に残っている部分をいくつかピックアップする。共通しているのは、氏の目線はいつだって冷静で、姿勢の根本にあるのはロック的ななにか、だ。それを説明しろと言われても無理だ。感じたまでである。
音楽特集に寄せて 2013.6.10
自分になんの感動も体験もない人間が、もっともらしく「ユーザー・エクスペリエンス」を語り、数字しかあてにできない人間がしたり顔で「顧客満足」を論ずる。それによっていかに多くの現場がモチヴェーションを奪われ、クリエイティビティを削がれ、結果どれだけ多くのリスナーが離れて行ったことだろう。そりゃそうだ。そんな連中がつくったものにいったい誰が感動なんてするもんか。
「体験の時代」、「コト消費」なんて言葉が、もっともらしく企画書上に踊るようになって久しいが、内容を見てみると、ワークショップやりましょう、写真スポット作りましょう、みたいなどうでもいい話でしかなかったりする。自分が「本当に感動した記憶や体験」に立脚しないUXは、あんたがた、こんなんが好きなんでしょ?という侮蔑が見えるのである。
ファンビジネスについて 2017.12.06
ファンのモチベーションは、費用対効果では決して測ることができない。(中略)どだい、ファンは、自分がなぜそこまで夢中になるかを正確には把握していないものだ。であるがゆえに「ファンをつくりだすプロダクト」というものをモデル化するのは難しい。せいぜい、モデル化することも言語化することもできない「非合理性」がそのプロダクトなりサービスのなかに含まれていることが必要となる、ということが言えるくらいだろう。
企業にとって「ファンを作る」というのが大きな課題として存在するのは、まぎれもない事実。しかし、「だからファンを作りましょう」というのがいかに安易なことかをこの記事は教えてくれる。本物のファンとは非合理の固まりで、本人すら「なぜこんなに好きなのか説明不能」なものであり、人間の孤独や根源に触れるような危ういものだということだ。
プロデュース力について(編集会議への寄稿) 2017.10.16
本当に優秀な編集者、クリエイターっていうのはまだ言語化されていない時代の空気や気分を的確に捉えて、言語化したり視覚化したりすることができる人たちで、本来的には、非常に優れたマーケッターなんだと思うんです。そのことをビジネスサイドの人間は過小評価しすぎですし、編集者自身も、そのことを忘れて「売る話」にばかり巻き込まれているのは本末転倒ですよ。コンテンツ自体に関する議論をコンテンツ産業自体が一番ないがしろにしているというのは、本当に情けないことで、これは出版に限らず、音楽でも、映画でも、なんでもそうだと思うんです。
コンテンツの話であり、それにまつわるマーケティングの話。
「売る」だけなら、顕在化しているニーズに当てればいいかもしれない。しかし、「爆発的に売る」ためには、まだ誰も言葉にできていない、見えないが既に世の中に張られている伏線を嗅ぎとり、それを回収することだ。
会社のミッション、倫理についての特集に寄せて 2016.06.10
会社の特集でミッションなんていうことばを使うと、どうも、すぐに「ソーシャルグッド」なんてことばが出てきてぼく自身なんとなく身を引いてしまうのは、「ミッション」っていうことばはなにもそんなに立派で大人びたものでなくてもいいような気がするからだ。ぼくがミッションと言って思い浮かべるのは『スクール・オブ・ロック』という映画のなかで、おばかなジャック・ブラックが、「ひとつのライヴが世界を変える。それがロックンロールのミッションだ!」と息巻くくだりだ。(中略)個人のなかで疼くなんらかの原風景と、そこから生まれるパーソナルな衝動が切迫したドライヴとなって表現として結晶化したような会社であるならば、誰に言われなくともそこにミッションはあるだろうし、解決すべき課題もすでに存在するはずだ。必死に探し出して見つけた「課題」の「解決」なんて、やるだけつまらないだろう。
この記事は大好きだ。会社をバンドに喩えてくれたからだ。ニーズがあるかどうかは知らないが、どうしようもない個人的な表現衝動のようなもの、それがあるからバンドは「集まる」のであり、もっと言えば、それが表現し終われば解散する。会社の不幸や歪みというのは、「終われない」からこそ起こるのかもしれない。
ことば特集に寄せて 2015.11.10
ことばはツールだとよくいわれます。ヒトがことばを使うのだ、と。けれども、事はむしろ逆で、ことばというものにヒトは使われているのかもしれません。ことはとはなにか、ということを一生懸命考えるときに、わたしたちがことばを使ってそれをやっている以上、わたしたちは囚われの身にすぎないのではないか。
これはもう、ソシュールである。サラっとわかりやすく書いているのがすごい。
未来を疑うのではなく、未来という概念を疑え!
最後にことばについてのテキストを引用したが、このスタンスが氏の言説全体を貫いているといってもいいと思う。「〇〇ってなんだ?〇〇って言われているけど、それ本当か?」ということである。ただの逆張りではない。もう、全ての言葉を点検し、検証しなければならない時代だ。そのことばに対する検証は、雑誌のテーマである「未来」にもおよぶ。
変な言い方だけど、「未来」ってものの捉え方を変えることでしか新しい未来は見えてこない。
僕たちが無邪気に使う「未来」ということばに内包されるものが、すでにして前世紀的な価値観に立脚していて、そこから脱することでしか、未来は見えてこない、ということだ。
これはひどく印象的だ。しかし、完全には理解できていない。
500P超の「太本(ふとほん)」、
2周目へ突入である。