アベフトシという「真実」。
少年の憧れほど、純粋なものはないと思う。
多感な思春期に刻まれた
「カッコいいとはなにか?」という定義は、
どれだけ年を重ねても変わることはない。
僕にとってそれは、アベフトシになる。
「カッコいい」とはつまりアベフトシであり、
カッコいい生き方というのはアベフトシの生き様である。
いくつか言葉にすると、こういうことだ。
・寡黙であること。
・長身痩躯であること。
・とてつもないギターをひくこと。
・正直だからこそ、不器用であること。
こうなりたい、と思ったけど、
僕はひとつとして満たすことができなかった。
むしろ、背は伸びず無駄話が好きで、とてつもないギターなどもちろん弾けず、なにかと小器用に立ち回り日々の糧を得る人生である。
まったく逆じゃないか。
カッコわるい人生じゃないか。
そうじゃない。そんな風に思う必要はない。
なぜかというと、冒頭に書いた通り、
あれから20年経った今でも、世界一カッコいいのはアベフトシだと思えているからだ。
性懲りもなく、毎日そう思っている。
大人になってみて初めてわかった。
こんな風に思えることって、実はほとんどないのだ。
楽しいと思うことも、
苦しいと思うことも、
人に対する考え方も、
全てが経験と知識と状況によって変わっていく。
少しずつの変化が、気づいたら180度変わっていた、みたいなことすらある。
それはそれで全然いいけど、
そうじゃないものが自分にとっての真実である。
9年前の今日、アベフトシは唐突に死んだ。
これはまぎれもない事実である。
そして、今でもうっすら悲しい。
これも事実だ。
でも、大事なのはそこじゃない。
アベフトシ カッコいい
という自分に刻まれた真実こそ重要なのである。