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ケレン味あふれるブログを目指します。

アニメ界の巨人・宮崎駿が作成した企画書がスゴ過ぎる、というまとめ。

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 好きなんである。宮崎駿が。

実は映画はそうでもない。

特にハウルとポニョは、何度も挑戦したが、

何がなんだかわからない。

 

映画の100倍、この人自体が面白い。

映画でしか触れないのは勿体ない、

という事で、

関連書籍をほぼ読破した自分が、今回は

巨匠が作成した「企画書」を紹介しようと思う。

 

最初に思ったのは、

宮崎駿も企画書とか作るんだ・・・。」

 

まさかパワポ?と思ったが、

もちろんそうではない。

全て手書きである。文章のみ。

 

しかしこれがものスンゴい。

情熱がほとばしる、美文。

そして何より、

「企画書通りの映画になってる。」

という驚き。

 

企画意図の部分のみを

抜粋して紹介する。

時代背景を思い出しながら、見てもらいたい。

 

 

耳をすませば」企画書(1993年3月)

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混沌の21世紀の姿が、次第にはっきりしてきた今、日本の社会構造も大きくきしみ、ゆらぎ始めている。時代は確実に変革期に入り、昨日の常識や定説が急速に力を失いつつある。これまでの物的蓄積によって、若い人々がその波に直接さらされることは、まだ始まっていないとしても、その予兆だけは確実に届いている。

こんな時代に我々はどんな映画を作ろうとするのだろう。

生きるという本質に立ち帰ること。

自分の出発点を確認すること。

変転する流行は一段と加速するが、それに背をむけること。

もっと、遠くを見つめるまなざしこそがいまいるのだと、高らかに大胆に唱いあげる映画を、あえて作ろうというのである。 

 

えっ、これがあの「耳すま」の企画書??

あの至高のラブストーリーの??

あまりにも穏やかでない。

しかし、企画書はここから加速する。

 

この作品は、若い観客の今のあれこれに、理解を示して歓心を買おうとしない。彼等、若い人々が置かれている今日的状況について、疑問や問題意識をひけらかす事もしない。

この作品は、自分の青春に痛恨の悔いを残すおじさん達の、若い人々への一種の挑発である。自分を、自分の舞台の主人公にすることを諦めがちな観客―それは、かつての自分達である―に、心の渇きをかきたて、憧れることの大切さを伝えようというのである。

自らを高めてくれる異性との出会い―チャップリンの作品は一貫してそうだった―その出会いの奇跡の復活が、この作品の意図するところだ。

 

自分は公開当時、

確か主人公たちと同年代だった。

駆け出したくなるほど

胸が高鳴ったのを覚えている。

なんとなく、この世界で自分は

脇役であることを認識し、

諦め始める年代である。

そして、性欲も高まってくる。

[異性との恋=エロ]

という図式が固まり始める我々に、

意識的に宮崎駿

一石を投じる。

「その2つ、どっちも違うな」と。

「お前は脇役じゃないし、

恋ってのはいいもんだ、

お前はまだそれを知らないだけだ。」と。

 

さらに企画書は続く。

 

すこやかさとは、庇護のもとのもろさであるとか、障害のない時代に純愛は成立しないとか、皮肉に指摘するのは簡単だ。それなら、もっと強く、圧倒的な力で、すこやかであることの素晴らしさを表現できないであろうか。

現実をぶっ飛ばすほどの力のあるすこやかさ・・・・・・。その試みの核に柊あおいの「耳をすませば」はなり得るのではないか?

(中略)同世代の少年や少女達が、未来をむしろ忌避して生きている時(大人になったら碌なことはないと信じている子供達が多い)、ずっと遠くを見つめて、少年は着実に生きている。われらがヒロインが、そんな少年に出会ったらどうするのだろう。

そう設問した時、ありきたりの少女マンガが、突然今日性を帯びた作品に変身する原石ーカットし、研磨すれば輝く原石ーに、変身したのである。

少女マンガの世界が持つ、純(ピュア)な部分を大切にしながら、今日豊かに生きるとはどういうことかを、問うこともできるはずである。

この作品は、ひとつの理想化した出会いに、ありったけのリアリティーを与えながら、生きる事の素晴らしさを、ぬけぬけと唱いあげようという挑戦である。

 

 思春期特有のニヒリズム

陥っている10代の若者に、

「すこやかに生きよう。夢を持とう。人生は素晴らしい」

といくら説いても、全く響かないだろう。

 

それを、

少女マンガの文体(理想の恋愛)に、

アニメーション技術による

リアリティを加え、

血肉化させ映画として昇華し、伝える。

 

そしてそれは、

前文にあるように「今の時代」

だからこそ作るべき映画であるということ。

 

これが本当の企画か・・・、と戦慄する。

 

本屋に並ぶ、

[売れる企画]

[面白い企画]

[話題になる企画]、

そのどれもが一気に矮小かつ

陳腐なものに見えてしまう。

 

いや、映画の企画と広告の企画は

別のものなので、

いっしょくたにするのは間違っている。

(実際、鈴木プロデューサーのアプローチは異なる)

 

ただ、全ての企画の背景には

常に「それをやるべき理由=社会性」

根幹にないと意味がないということは、

この企画書で充分に実感として学べる。

 

実際、宮崎駿本人も

「ヒットしなければならない」

と常々口にしている。

それは前提なのだ。

 

長くなってしまったので、

今回は1本のみ。

もののけ姫の企画書もマジですごいので、

また機会があれば紹介したい。

 

最後に、宮崎駿監督の映画企画、

翻って「生き方のスタンス」を現した有名な名言を。

 

理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。

 

 

 

出発点―1979~1996

出発点―1979~1996

 

出典:宮崎駿「出発点」より