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ケレン味あふれるブログを目指します。

「繋がる瞬間」のカタルシスに勝る娯楽はない。それを意図的に作り出すために世界史を学ぶ。

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世界史を割と詳細に勉強している。

ここ3年ほどずっと、である。そんな僕を奥さんは不思議そうに見ている。

「なんで30過ぎて今さら世界史?」

 

なんでだっけ?確かに自分でも不思議だ。

楽しいから、という理由なのは間違いないが、何が楽しいんだろう。考えてみた。考えてみるとやはりそれなりに答えは見えてくる。

 

断言できるのは、仕事に役立てたいとか、社会人の教養として身に付けたいとか、そういうことではない。そんな不純(?)な動機なら、

紀元前のローマ軍VSカルタゴ軍の戦い(第二次ポエニ戦争)の地形まで調べたりしない。ビジネスの場で役にたつわけがない。

 

アレってもしかして…!! すげえ!!カタルシスについて

 

こういう記事がある。

d.hatena.ne.jp

 同じ作者の作品の世界観が密接にリンクしている、というもの。

 

 

そう、「つながる瞬間」

これが好きなんである。

僕的に一番は、森博嗣のS&MシリーズとVシリーズのリンクっぷりだ 

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

 

赤緑黒白 (講談社文庫)

赤緑黒白 (講談社文庫)

 

 これに関してはもう、リンクどころの騒ぎじゃなく、その瞬間に2つのシリーズの世界が同時に膨らんで、さらに超スピードで立体になって組み合わさって1つになるような、とにかく衝撃の体験だった。ゾクゾクした。

 

マンガで言うと、そりゃもう大甲子園である。 

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ドカベンに代表される水島新司作品のキャラクター(高校野球チーム)が甲子園の舞台で一同に会してシノギを削る。(ちなみに、作者の水島新司は、もともとこの構想を持っており、そのためにどの高校野球漫画も三年春の甲子園までで物語を終了させていたらしい)

 

おそらく、世界史を勉強しているのは、現実の世界でこの「繋がる瞬間のカタルシス」を意図的に作り出そうとしてるんだと思う。

 

時代が違うからといって、大昔だからといって、世界は別の作品ではない。同一線上の物語である。全てはつながっていて、それは普通に生きているだけでいたるところに顔を出してくる。その時、いちいちドキドキしたいのである。世界史を勉強すれば、それが可能だ。

 

①サッカーロシアW杯で「スペインvsポルトガル

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イベリア半島対決、というよりも要は隣国対決である。日本人であれば実感としてわかると思うが、隣国とは必ずいろいろある。シャレにならなさ度でいったらイギリス・フランスには及ばないが、スペイン・ポルトガル間にもやはり色々あった。このカードを知った瞬間、やっぱりテンションが上がるのである。そしてここ数年の成績を見れば、ポルトガルがスペインを喰う可能性は充分にある。世界史的には、そっちの方が感慨深いものがある。楽しみ。

 

②モンゴル人力士の飲み会、という恐怖。

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元(モンゴル帝国)という国のハンパなさは、上記の当時の支配地域を見れば一目瞭然だ。もう、世界征服寸前である。遊牧騎馬民族であるモンゴル人は、簡単に言うと戦闘民族サイヤ人である。日本にとって元寇は本当にラッキーだった。地球を目指して飛んできたベジータとナッパの宇宙船の軌道が、なんらかの神的な力で逸れたようなものである。話すらも逸れたが、その辺を踏まえると最近話題になったモンゴル人力士の飲み会は、恐怖以外のなにものでもない。死人が出なくて良かった。素直にそう思えるのである。

 

 

キングダムの政(始皇帝)が、聖人。

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始皇帝の話だと聞いて、こりゃエゲつないエピソードが楽しめるぞ~、と思って読んでみたらまあビックリ。ものすご善人なのである。それを通り越して聖人だ。しかし歴史上、秦王(政)が6国を統一後、始皇帝となり、そこで何をしたかを僕らは知っているし、その事実は動かない。一体この物語はそのあたりをどう描くつもりなのか。逆に楽しみなんである。

 

これらはほんの一例だが、普通に生活しているだけで世界史はいろいろな所で顔を出す、テムジンという飲食店名を見ただけで、フランツ・フェルディナンドというバンド名を聞いただけでひとりでニヤッとできるのである。

 

毎日が「ウホっ♡」

の連続。楽しくなるのだ。

 

もちろん、今日本や世界で巻き起こっている諸問題について、近視眼的にならず相対化して捉えることもできる。僕たちが当たり前だと思っていること、不動だと思っていることは意外なほど歴史が浅かったり、そもそも恣意的に作られたものだったりする。それらの視点を得られるのは有用だと思うが、でもやっぱりそれは副産物だ。

 

やっぱ楽しくなくちゃ。

そして知れば知るほど、

このカタルシスを得る機会は増え続ける。

 

今のところ、世界史に勝る娯楽はない。